憲法9条改定を許さない 草の根のうねりを

6・14反改憲集会に550

 

 6月14日、「憲法第9条改定を許さない6・14全国集会」が東京・社会文化会館三宅坂ホールで開催され、全国各地から550人が参加した(主催・同集会実行委員会)。

 集会はまず、ヤスミン植月千春さんのカーヌーン演奏で始まり、連帯のアピールとして、年末年始の日比谷派遣村を担った全国ユニオン事務局長・阿部誠さんから、派遣切りをめぐる闘いの経緯と現状が報告された。続いて国労闘争団の佐久間忠夫さん、日の丸・君が代強制と闘う教育現場から増田都子さん、非正規雇用労働現場からは「自由と生存のメーデー実行委員会」の仲間から、力強いメッセージが発せられた。国会からは社民党の保坂展人さんのアピールと、各政党のメッセージが続く。続いて、「憲法9条改定と国民投票をめぐる状況」と題して、伊藤成彦氏が講演した。

 第2部は、池邊幸恵さんの「ピアノとスライドによる平和のメッセージ」に始まり、沖縄からのアピールを知花昌一さん。知花さんは、反安保こそが9条を守る闘いの核心だと、沖縄の基地の現状をふまえ今こそ反基地・反安保の闘いを改憲阻止の大きなうねりにしていこうと訴えた。

 続く連帯のアピールでは、不戦兵士の会の猪熊得郎さん、東京大空襲の原告団(日本軍に爆撃された中国重慶の原告団も翌日の裁判を控えてともに登壇した)、50周年を迎えた伊達判決(日米安保は違憲)の原告から、安保条約無効確認訴訟事務局長の山崎さん、原子力空母横須賀母港化反対を闘う神奈川平和運動センターの加藤さん、反原発を闘うたんぽぽ舎の柳田さんたち、8・6ヒロシマの集い実行委員会の森島さんと続いた。

 実行委メンバーによる「戦争の放棄」の合唱を経て、実行委から来年の安保50年に向けて「記念ではなく改憲阻止の長期的闘いの出発点に」と呼びかけられ、さらに緊急提案として、自衛隊海外派兵−交戦に踏み込む海賊法案阻止への国会前行動が提起され、各界・各層ともに改憲阻止の大衆行動をと、集会宣言が読み上げられ閉会となった。

 集会後は、永田町から赤坂見附、アメリカ大使館前を経て、日比谷公園にいたるデモ行進を貫徹した。                             (藤田)

 

国民主義の護憲ではない草の根の反改憲のイニシアティブを

 

 憲法9条改悪阻止を最大の焦点にした私たちの−「護憲」ではない−「反改憲」のコンセプトとは、第1に、再び戦争の惨禍を繰り返すことのない社会を創ることであり、そのためには、過去のナショナリズムや国家主義の過ちを直視し、何千万人という人命を犠牲にして学んだ「歴史の教訓」を忘れず未来に生かす、ということを基本理念にすることである。

 第2に、改憲の狙いが、グローバル資本の権益を守るための自衛隊の海外派兵と戦争ができる国に日本を「参戦国化」することにある以上、国民国家や国益をおし出す改憲派の国家主義にも、「戦後平和と民主主義」を守ってきたと自画自賛する護憲派の国家主義にも、この左右のパラダイム(国家意識や国民主義の枠組み)に回収されない「反改憲」のイニシアティブ、すなわちグローバリズムに対抗する新機軸(新たな戦略)を創造することである。

 第3に、改憲反対、9条改憲阻止の世論を大きなうねりにしていくには、古臭い上からの統一戦線ではなく、草の根から1プラス1が2ではなく、4にも5にもなりうるという60年安保闘争のようなダイナミズムを生み出すことに精力を傾けることが決定的に重要である。社・共などの旧左翼政党や労組、「護憲派」にはもはや従来のように大衆運動を引っ張っていくだけのリーダーシップはない。先導役不在の現状においては、草の根レベルの大衆運動が前面に立ち、一党一派の狭い利害を越えて政党や労組が大衆運動を支えていく、という発想の転換をもたらすイニシアティブが求められている。社・共等の旧い左翼が廃れる中で、この国の右に偏した政治の重心を左に引っ張ること、そのための「新しい左翼の極」を立ち上げることが必要なのだ。

 今日、改憲が政治テーマとして前面に登場している時、私たちは1960年の安保改定をテコに当時の首相岸信介が改憲を企てようとしたこと、その改憲を企てようとしたこと、その改憲の企みを、60年安保闘争は(安保条約の改定自体は阻止できなかったものの)打ち砕いた、ということの歴史的意義について再評価されるべきであると考える。60年安保闘争を通してブントが切り拓いた、@大衆行動におけるダイナミズム、A政治変革におけるラディカリズム、B連帯におけるインターナショナリズム、この地平を私たちは甦られたい。

 そのためには、「護憲」という国民主義の閉塞したパラダイムから脱却することが必要だ。とりわけ、戦後憲法からいわば「忘れられた存在」であった沖縄の人々や在日韓国・朝鮮・中国等の人々、そして「人間らしく生きる権利」(生存権)を脅かされた憲法25条や社会的権利から「排除された人々」との連帯によって反改憲の草の根のうねりを起こしていかなければならない。

 戦後憲法の作成過程で当時のGHQのマッカーサーは、日本政府が天皇の戦争責任の免罪と天皇制維持のために9条(戦争放棄、再軍備禁止)に同意したことによって、空白となる日本「本土」の防衛を沖縄に米軍基地を確保することで埋められると考えた。それゆえ1946年4月の憲法制定のための戦後初の選挙において沖縄民衆の参政権は停止(剥奪)され、戦後憲法体制から沖縄民衆は排除されるとともに、現在も日英安保の要石とされ米軍基地の重圧に苦しめられているのである。46年から60年以上経た今日においても、沖縄が憲法から切り捨てられ米軍基地の重圧を背負わされている窮状に無関心でいる限り、9条の形骸化・劣化は避けられない。9条の劣化・改悪をくい止めるためにも沖縄民衆との連帯は欠かせないのだということを肝に銘じよう。

 今日、新自由主義政策による社会保障の切り捨てで貧困が深刻化し生存権が脅かされている。「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)は保障されているといえるか。生存権を取り戻すための闘いと9条改憲阻止の闘いは結びつけられなければならない。

(赤井隆樹)

 

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