グローバリズムと多極化時代

       終焉迎えたG8サミット

                             槙 渡

 

G8時代の終焉告げたサミット

 

今回イタリアのラクイラで開かれたG8サミット(主要国首脳会議)とは、暴利をむさぼり富を独占している一握りの国の為政者たちが一堂に会して、世界を思うがままに支配し不公正・不平等で「いびつな秩序」をいかに維持するかを協議する場だ。

 ただ若干の後ろめたさを取り繕うために「地球温暖化対策」やどうしたら慈善家的パフォーマンスを演じることができるか腐心している。イタリア首相ベルルスコーニがサミットの開催地に地震の被災地ラクイラを選んだのもこのためである。だが愚かな為政者たちは、そんな偽善を世論に見透かされ冷たい視線を浴びることさえいとわず、厳戒態勢の中で強権と威圧に守られて、この「政治ショー」を毎年繰り返してきた。すでにその「賞味期限」は切れているのにだ。1975年から今回で35回目のサミットが体現してきたレジームは、確実に黄昏を迎えつつある。

 「冷戦」時代の1975年、米国、英国、フランス、西ドイツ、イタリア、日本の6カ国で出発したサミットは、その後、カナダ、そしてロシアが加わって現在のG8の枠組みになった。だが、「冷戦」終焉後、グローバリゼーションの進展による勢力図の変容を背景に、多極化時代を迎えた世界は、「冷戦」時代の古いパラダイムの転換を強いられている。とりわけ今回の金融危機―経済危機がそれに拍車をかけた。

 ラクイラ・サミットで浮き彫りになったのは、G8の号令だけで経済危機に対応する方針を決めたり、世界を動かせた時代は終わったということだ。国際協議の舞台からG8は主役を降ろされ、サミットは優越的地位を失った。

 朝日は「多極化時代のG8の限界をまざまざと示した」(711付毎日)。現に中国の新車販売台数は今年上半期に600万台を突破し、経済危機で激減した米国を抜いて世界一となった。また日本の上場企業の約3割は、外国人株主が占める多国籍企業化している(その割合はこの20年ほどで5倍以上になった)。

 こうしたグローバル化、多極化に照応して中国やブラジルなど新興国が米国主導のドル基軸体制の見直しを迫り始めた。ブラジル大統領ルラは、ドルに代わる基軸通貨の検討を新興5カ国首脳会議で促した。また中国も9日の拡大会合でドルが国際基軸通貨になっている体制を見直す必要がある、と表明、共同宣言に反映された。たしかに現時点ではドルに代わる通貨は見当たらない。しかし基軸通貨見直し問題は、今回のサミットの「隠れたテーマ」といわれた。

 未曾有の金融危機に直面して多極化時代に対応する世界経済の舵取りの責任を担う舞台がG8からG14になるのかG20(金融サミット)になるかはまだ五里霧中だ。ただ、すでに「世界の目は、9月に米ピッツバーグで開かれる第3回金融サミット(G20)に向いている」(711付朝日)。

 03年に米ブッシュ政権が始めたイラク侵略戦争は、フセイン政権を倒したが、「冷戦」後の米一極支配の世界秩序が崩れ始める契機になった。そして今回のサミットは、先進国クラブとしてのG8時代の終焉を告げ、ドル基軸通貨体制は落日の始まりを予感させている。そのことの中に世界資本主義の危機の深刻さが象徴されているのである。「いびつな世界」は、「もう、たくさんだ」。

 

麻生の土壇場解散 一大政治再編の序章

 

 サミットから帰国した首相麻生は、自民党の歴史的な惨敗となった東京都議選のショックのさめやらぬ翌日7月13日に8月30日衆院選投票の日程を示した。決断が遅い、すぐぶれる、リーダーシップが見えないと酷評されてきた麻生だが、思えば昨秋、前首相福田の突然の政権投げ出しを受けて衆院解散−総選挙のための「顔」として自民党が選んだ首相だ。ところが決断をためらううちにモラトリアムに陥り、たどり着いたのが最悪の環境での解散−総選挙だ。

 ぶれて迷走したあげくい党内外の世論の離反を招き土壇場に追い込まれての解散といえる。支持率1割台の首相を前面に立てて戦わなければならない自民党は、厭戦意識が蔓延する中、「分散の危機」を抱えたまま、事実上始まった衆院選に走り出した。自分の身を守ること(保身)だけを優先してきたあげく、遅きに失したとはいえ民意を問う衆院選の日程が決まった。暑く長い夏の始まりとともに半世紀にわたってこの国の政治を支配してきた自民党時代の「終わりの始まり」を予感させる。それは、自民党の断末魔が近づきつつあるということにとどまらず、衆院選後に避けられないであろう「政界のガラガラポン」、自民党、民主党を含めた保守右派勢力の一大再編過程としての「大乱の序章」にすぎないかもしれない。

 今後1年、日本の政治情勢は大きく変わる可能性がある。右派、左派を問わず全ての政治勢力は、旧来の政治のパラダイムが転換する大きな再編の渦中にあるのだ。

 

外国人排斥を許さない6・13京都緊急行動

 6月13日梅雨の合間の暑い日、京都三条河原町の河川敷において6・13緊急行動が行われた。

 集会とその後の抗議・糾弾行動には、関西一円のみならず、東京からも仲間達がかけ着け、250名結集という緊急行動としては大きな盛り上がりを見せた。

 集会の意義は、あまり聞きなれない団体である「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の許し難い、排外主義の扇動と京都の地を選んでのデモンストレーションを糾弾し粉砕することであった。

 在特会は、2008年頃から、在日外国人の在日特権なる言葉を捏造し、ネット、ブログに大量に在日外国人差別攻撃を繰り広げている。

 4月には、埼玉県で、不法滞在を理由に両親が強制送還され、家族と別れて暮らすことを余儀なくされている中学生の自宅、学校周辺を「犯罪外国人を叩き出せ」などと叫び、日の丸を掲げて練り歩き、直接行動に打って出てきていた。

 一見、ネット社会の中の出来事と思われているが、その主張の持つ極端な排外主義主張の背景には、新自由主義下で労働を奪われた若い貧困者層が、その将来も見い出せず、社会的弱者へその鉾先を向け始めていると見るべきである。

 緊急行動にもかかわらず、その呼びかけに応えて個人名で250名以上、闘う団体で100以上もの人々が、この集団に対する強い危機感を持ったということは、新自由主義とグローバリゼーションの時代が崩壊し、いわれて来た格差社会が、非和解的な階級対立の時代へと転換し始めているとも考えられる。

 四条河原町交差点までの午前中のデモは、今風というのか、タイコありおどりありの多様なものであった。一時休憩して、午後2時から、在特会デモを迎え撃つべく、班編制を行い、四条交差点を主戦場に各交差点での横断幕情宣と広く京都市民へのアピール活動を行ったのである。

 若い班長から「警察の介入が予想されます」「パクられた時は、この電話番号に知らせて下さい」などとアッサリいわれると、背中の中を緊張の糸がするすると登っていくのを感じる。これだ、この感覚だ、闘争はこうでなくてはと妙に嬉しくなって、四条交差点で、排外主義在特会のデモを待っていた。

 そこで展開されたデモとシュプレヒコールの応酬は、すさまじいものであった。在特会のデモ参加者は実に若い人達だった。その彼らが「朝鮮人は日本から出ていけ」「在日外国人の特権は許すな」「在日外国人に人権などない」

 マイクの呼集になると、彼らの中からは、機動隊の隙間をついて我々の仲間につかみかかる者、ケリを入れてくる者、四条交差点が騒然となり、彼らとの闘いの不可避性を確認させられた。

 麻生自公政権は「骨太2009方針」で、7年振りに防衛費を増強し、北朝鮮を明確に敵国として規定し、その対応として新たに必要な防衛生産技術基盤の確立に努力するとしている。

 他方、6月11日、衆議院本会議で国民投票法成立に向けて「憲法審査規定」を強行採決している。9条改憲への一歩といえる。貧困と失業の時代が出口のない時代閉塞を若者に強制し、一部は確実に排外主義の流れとなるであろう。

 だからこそ、闘う側の戦線を一刻も早く整えねばならない。(関西M)

 

グローバル恐慌の先にわたしたちは

成島忠夫

 

 昔の活動仲間が「共産主義者協議会」ということで議論と実践の協働の場をつくりあげた。いいことだと思う。現在の恐慌・大不況において生産システムの変化と生産者=労働者階級のありかたにどのような変化が発生しているのか。グローバル化恐慌の先にわたしたちはいかなる世界を構想するか。こういうことを議論の一つとして提起したい。

 アメリカ資本主義の金融恐慌は、1930年代に匹敵する米欧大不況のきっかけとなった。ミシガン・デトロイトの失業率は1415%くらいといわれているから193233年頃のアメリカ大不況には少しおよばないが、この先さらに悪くなるかどうかはなんらの楽観も許さない。

 GMの破綻は歴史的に二つの意味をもつ。1970年代からの金融自己膨張型のグローバル資本主義の破綻。もうひとつは生産における資本制的中央集権の破綻である。金融暴走に対する世界的な公的規制がどのように出来上がるか。さらなるバブルの創造に資本主義は延命を託するのかどうかということになる。もうひとつは生産における資本制的中央集権の破綻は自動車・製造業の世界的淘汰・再編をすでに引き起こしている。

 脱炭素・脱化石燃料は「グリーン・ニューディール」の主要命題であるが、機軸的産業である自動車産業の生産システムに大変化をもたらしつつある。ゆきつく先は世界市場を席巻する資本制的中央集権か独立的な小型・分散の生産・交換・消費のシステムの変化は生産者=労働者階級のありかたに根本変化をもたらすだろう。グローバル恐慌の先にわたしたちはいかなる世界を構想するか。

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