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この間、1968年の全世界的な「反乱」から40周年、1989年の東欧エセ社会主義体制の「崩壊」から20周年という節目の年を迎える中、論壇やメディアで、この歴史的な出来事に対するスポットライトが再び当てられている。様々な悪意や偽善、揶揄の一方でもうすっかり忘れられていた過去と現在との対話(Ehカー)が、改めて模索されている。

 「1968年」とは何なのか。私はこう答える。それは、青春を懐かしむ追憶の年ではない。我々がどういう道程を歩いてきたか、どう変わったかを考えるために、折に触れ立ち返るべき「起点」であり(西川恵)、我々の現在を測る「物差し」の一つである。

 68年の「反乱」は、それを担った日本の新左翼にとってまさに「青春の蹉跌」といえるかもしれない。だが旧い左翼運動の労働運動と区別された「新しい社会運動」と今日呼ばれる潮流の担い手や、それまで社会的に排除されたマージナル(周縁)化されてきた存在−被差別部落民、「障害者」、在日外国人、山谷・釜ヶ崎等の底辺労働者等−を、社会変革と連帯の表舞台に登場させ、運動のパラダイム(枠組み)を転換させるモーメント(契機)になったことは紛れもない事実なのである。その意味で、20世紀の共産主義運動にとってエポックメーキングであったといえる。

 私たちが立っている「現在」は、68年から40年、89年から20年を経た現時点における「体制」に「反抗」する今である。旧来のあらゆるパラダイムは、いまや通用しなくなり退場を迫られている。人々を吹きさらしの荒野に立たせ、弱肉強食の貪欲な競争に駆り立ててきた現代の資本主義−グローバリズムとの対抗軸−公正・平等な権利と連帯に基づいた社会の実現−を鮮明にした新たな変革の担い手が登場を告げられる時代、そういう「過渡期」に私たちは生きているのである。

 我々は、共産主義者同盟(ブント)結成から50年という節目の年を経て、昨年3月、共産同首都圏委員会、同プロレタリア通信編集委員会、同(蜂起派)をはじめておするブント系諸団体諸個人によって、「共産主義者協議会」を結成、プロレタリア(無産者)の共同政治新聞−『赤いプロレタリア』を創刊した。それは「新しい左翼の極」の旗を掲げることによって、共産主義運動再生への新機軸と構想を提示し、その論戦に資するためである。我々は性懲りもなく「土を耕して種を蒔く」ことをやめない。

 反改憲運動と反安保闘争、人間らしく生きる権利(生存権)のための社会運動、失業や雇用の不安定化に抗する労働運動、これらの連携、共闘関係を強めることを通して反グローバリズム運動の裾野を広げていくことが、我々の緊要な課題である。2010年、3月のNOVOX国際連帯フォーラム、6月の安保闘争50年、11月のAPEC反対闘争、そして当面する沖縄の普天間等米軍基地撤去を闘う。

 とりわけ日米安保改定から50年を迎える今、安保と沖縄が再び政治焦点になっている。普天間基地問題は、日米安保を揺るがす発火点といえる。その火種となってきたのは、海にくい一本も打たせず着工を阻み続けてきた辺野古の新基地建設反対の闘いだ。この紛れもない事実を軽視してはならない。72年の日本「復帰」(再併合)後も米軍基地の重圧と「国内植民地」ゆえの苦しみ(新川明)を強いられてきた沖縄民衆の怒りの深さを読み誤ったことを必ずや思い知らされるにちがいないのだ。

 怒りは苦しみの中に宿る。苦しみがなくならない限り、怒りの火種は誰にも消せない。団結は怒りによって創られる。我々は、自ら行動しイニシアティブを生み出すことに努め、プロレタリアの国境を越えた連帯を前進させてゆく。「プロレタリアの解放」のために、革命を起こそう!世界を変えよう!変革えの希望は取り戻せる!  (編集部・武佐隆樹)

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