(3面)
帝国主義の根底からのゆらぎを、沖縄基地撤去・安保破棄、大規模な労働・生活・社会変革へ!
−反グローバリズムから日帝打倒・世界革命の課題−
旭凡太郎(共産同プロレタリア通信編集委員会)
二つの世界大戦と29年恐慌ならびにロシア・中国革命という20世紀前半以来の、危機と激動の時代の始まりがある。
この間日本において非正規労働の拡大、失業増大、生活(再生産)条件の著しい劣化とこれとの闘いということが一方にあり、他方沖縄・普天間基地の辺野古移転反対、県外移設からさらに基地撤去・安保廃棄えの沖縄民衆を先頭にした闘いのうねりがあった。それは08年末から09年初頭の年越し派遣村の衝撃とともに、自民党政権崩壊の大波をつくり出してきた。
実際、派遣村以降、失業、野宿労働者を通して生活保護申請、受給は急増した。それと共に、運動面からは旧来型の「生活保護よりもまず職を」といったことからの転換、すなわち生活保障それ自体を権利として闘いとるのだということ、同時にそれを労働や管理や公共生活への参加を保障してゆくものとして闘いとるのだということ、自己決定力を創りだしてゆくのだと、といったことも確認されていったのである。(もちろんそれらは財政問題を含んでおり、「大きな政府」は当然否定されるべきではないが)。
そしてこの間「派遣村」はむしろローカル化しつつある拡大したし、炊き出し、夜回りはいたるところに拡大した。そして非正規労働は日本の労働運動の核心的問題となり、争議も諸ユニオンも反貧困ネットもひろがり、官製ワーキングプア等は官公労、自治労等の課題ともなっていった。その「均等待遇」要求はまさに普遍化しつつある。同時にこの間、国鉄分割民営化にともなう1047名首切りとの闘いは頑強に持続し、京品ホテル等の争議は持続拡大してきた。また関西生コン等労働者統制型労働運動は、雇用保障から投資規制と領域を広げてきた。
それらは非正規滞在者をふくむ移住労働者の権利保障、入管法改悪、さらには在特会などの排外主義的攻撃との闘い、難民申請者の攻防と一体である。そして障害者自立支援法の撤廃はもちろん、学校、就労、地域生活をめぐる分離(排除)そのものとの闘い、「共に」を実体化してきた障害者運動ともつながっている。
同時に農民、地方の自民党からの離反が決定的だった。WTO−食管法を通じた米価維持と農閑期の公共事業・土建といったことを柱とした農民の生活条件の削ぎ落としと自給率低下が農民層を離反させた。
そして旧来の企業内年功賃金、終身雇用、社内教育・福利厚生といったことも崩れ(非正規労働、大量失業等)、その結果日本における社会保障の脆弱性といったことに直面してきたのであった。とはいえ、このことは理念化された同一(価値)労働同一賃金と組あわさっての福祉国家戦略といったことを必ずしも意味するものではない。一つには、雇用、労働過程をふくむ差別・排除の現実・構造との闘い(非正規労働、障害者、野宿労働者等)とどうからむかを問題とする必要がある。同じく全体的な労働運動の発展(賃金、雇用、指揮・管理、労働編成とそれらをめぐる運動や、そこでの均等待遇要求や、投資規制や、それらをふくむ諸労働者統制)と相互連帯や、力関係の結果という面がある。
安保条約の役割は、@日米の経済的同盟、Aアジア勢力圏構築とそれの日本単独では困難ゆえの日米軍事同盟である。が、アジア・中国工業化に内在する、アジア労働者人民連帯という問題が浮上した(アジア市場の比重拡大ということもある)。また、B既存安保そのものの前提としての、沖縄処分、アジアへの侵略戦争責任の未完、天皇制の残存ということがある。
今日の安保の根底的同様が、まずもってこの沖縄人民からする基地への拒否であるとすれば、それは沖縄人民の自決権の行使でもある。そしてそれが「安保」見直しというパンドラの箱をこじあけつつあるのだ。
中南米においては、1999年ベネズエラ・チャベス政権を皮きりに、反米・非米・反新自由主義・「左派政権」一色となった。この間、伝統的で極端な所得格差や、大土地所有や、外国資本支配の拡大、輸出向け大農場による小作農放逐・臨時労働者化や、土地なし農民の増大や、都市移住とスラム化や、失業や、格差やインフォーラム層の拡大、等に対して民衆は決起したのである。
とはいえ実体的に、社会経済的(国有化・貧困対策等)ならびに国際関係(貿易、投資・米州自由貿易地域)に大きく手をつけているのは社会主義、ボリバル革命を掲げているベネズエラと、せいぜいボリビア、そして一部アルゼンチンまでである。(ブラジルPT・労働者党政権は中道左派とみなされている。)
とはいえベネズエラを先頭にしつつ、ボリビアに代表される先住民の大規模な政治的登場ということや、土地革命運動の構造化ということや、反貧困・格差ということの政治テーマ化や、国有化・資源の国家・社会管理や、民衆の政治参加といったことを、新自由主義批判をかかげて一時代を作ってきた歴史的位置は大きい(ブラジルにおいても)。1990年代にいたる、米州機構−CIA・米軍関与−多国籍企業・大地主の支配−開発独裁−軍事政権といった構造のもとでの新自由主義支配や、キューバ包囲・孤立、といった枠組みを解体してきた労働運動、社会運動の世界史的位置は大きい。
ヨーロッパでは、1995年のフランス・ゼネストにはじまり、2001年の対ジェノヴァ・サミット、対イラク戦争と数十万のデモ・暴動等反グローバリズムの運動の高揚が続いた。他方新自由主義的攻勢のもとでの社民勢力の後退と分解、新たな左翼勢力の台頭がある(フランス反資本主義新党、ドイツ左翼党に代表される)。前者は大統領選挙での10%強の影響力等もあわせて革共同を中心に1万人弱で、2009年新党(NPA 反資本主義新)をたちあげた。後者は、とりわけ2003年のシュレーダー政権のもとでのアジェンダ2010(新自由主義的労働・福祉改悪)を契機にドイツ社民の衰退と分解が加速した。同時にドイツ社民党左派と旧東独共産党が合流して、07年左翼党が結成された。前者にあっては(生産手段の共有とともに)自主管理や、移民労働者の権利・民族解放闘争の支持や、社会保障等の共有資産化といったことを、多国籍企業やIMF等世界機関の否定ということや、自国軍隊の反対と敗北ということや、エコロジー、反差別とともに掲げているということでは現代的といえる。(「全人民武装」の問題とかあるが)
ヨーロッパで代表的なドイツ社会民主党は福祉政策や、産業別組合−同一労働同一賃金(ヨーロッパでは全体がそうなのだが)や、労資共同決定等を制度化してきたが、グローバリズム・新自由主義のもと、労働者・資本家間の階級協調の条件を喪失させている。そして不可逆的な大不況の深化は、根源的オルタナティブとしての(生産手段の共有をふくむ)前期のごとき労働者自主管理(労働者統制をふくんでの)といったことが問われる。
すなわち中国は、ⓐ旧第三世界に属している。ⓑ国家社会主義(スターリン主義)を継承し、「社会主義」を標榜している。ⓒ世界最大の人口(13億)を基礎に、帝国主義諸国が衰退・大不況の道をたどりつつあるとき、それとは相対的に独自に成長する可能性(反対もありうるが)を有している。ⓓ社会主義を標榜しているその実体的基盤は、都市部雇用人口の1/3をしめる国営・集団企業と、そこでの国家・党による任命制である。それのうえに政治的には一党支配ということがある。それらは労働者管理の脆弱生をも意味し、格差化や、労働問題(解雇、非正規化)や、多国籍企業・グローバリズム支配の顕在化ということがあり、ここ数年新左派等の批判勢力(ストライキ権や労働者の権利、国有化等主張)の浸透、潜在的拡大がある。また、帝国主義不況、停滞のもとで独自に発展できるか危機におちいるか、のどちらの契機にせよ、労働問題(権利、保護から管理まで)は顕在化してゆくと考えられる。
こうした国際的反グローバリズム運動の展開と新たな左翼、アジアにおける工業化と労働者の権利といったことの上に、日米安保粉砕、多国籍企業支配・新自由主義支配をしてゆくことがあり得る。
同時に農業保護・振興・自給率拡大といった課題がある。
そして大枠としての反基地、反安保、県外移設、海外派兵、改憲阻止・反戦・平和・国際連帯の闘いがあり、これら全体を含んでの労働者・人民の運動の発展が。対権力を通して、国家権力・議会の解体から運動による溶融・蚕食を含んで、自己権力への発展(含、全人民武装)を射程とする運動として進行しているわけである。
又、具体的運動を通して、一方では諸階層・諸課題の運動との相互関係を形成し、他方、権力への道との関係を問うてゆくこと、活動家を組織してゆくことも任務である。
そうしたことと現在進行している若い世代の蟹工船ブームから資本論ブームをきちんと組織してゆく、といったことをも課題としてゆかねばならない。
その場合最小限の前提として、「唯一の党」「多数派とともに、(グループ等をふくむ)少数派の存在の否定」(一枚岩)、そういったことを前提としての中央集権党、それらの表れとしての内ゲバ…他党派解体、といったことの真摯な総括は絶対的条件である。