(4面)

 反グローバリズムのイニシアティブと新機軸を!

槙 渡(共産同蜂起派)

 

  問われる共産主義者のイニシアティブ

 (1)

  いま私たちが生きている世界は、かつてない変革の時を迎えている。今後1〜2年間の間に、これまで予想もしなかった激しさで矛盾が噴出し、情勢がドラスティックに変わりうる、そういう可能性がある時代、言い換えると危機が深まり旧来の仕組みやパラダイムが通用しなくなる歴史の大きな転換期に立ち会っているのである。

 グローバルな金融−経済危機は、世界同時不況と大失業時代の到来を告げ、「冷戦」終演後のアメリカ一極支配(パックス・アメリカーナ)の「世界秩序」が足元から揺らいでいる。従来の経済システムは破綻し、地方はシャッター通りに象徴されるように疲弊、雇用は崩れ、社会保障・医療・介護は荒廃、社会全体が壊れかけている。路頭に迷う失業者や生活に困窮する貧困者がかつてないほど増えている。なのにこの国の政治は、変化の激しい時代に対応できず劣化するばかりだ。社会の構造はとっくに変わっているのに、何故、政治はいっこうに変わらないのか。それが閉塞感や失望感を生み、他方で、現状打破への渇望も生み出している。従来型の自民党中心の政治が行き詰まりをみせる中で、歴史的な「政権交代」がもたらされた。いつまでも同じ状況が続くわけではない。政治には、ある時点で、潮目が変わり、情勢が反転し始める局面がある。

(2)

国境を越える資本移動が自由化・多国籍(超国籍)化されたグローバリゼーションは、「富の再分配」を重視してきたケインズ的福祉国家モデルによる社会保障を解体し、さらなる「富の蓄積」を優先する新自由主義モデルを全面化させた。だが、その結果、一握りの金持ちには利益を与え、貧しい持たざる者には苦しみを押し付ける不公正で不平等な社会のひずみをもたらした。貧富の格差をもたらした。貧富の格差を拡大し、殺伐とした弱肉強食の競争に駆り立てる新自由主義・グローバリゼーションに対して、人々は世界中で「もう、たくさんだ!」と怒りの声を挙げているのだ。

 新自由主義的な「構造改革」−@社会保障の切り捨て、A労働市場等の規制緩和(雇用の不安定化)、B民営化を三位一体とする政策−によって、この国の労働・教育・生活の三大社会権を保障する公的支援のサービスは、「先進国」の中で最低のレベルだ。働く権利、生きる権利に「格差」が広がり、社会的な権利から排除された人々が貧困にあえいでいる。

 国家権力は、貧しい持たざる者・無産者−プロレタリア!−の怒りの火種が燃え上がりグローバル資本への反抗が拡大することを恐れている。インターネットと携帯電話を駆使した「近代化と進歩」の言説で粉飾しながら、人々の目と耳と口を塞ぎ、不安を煽り、生きる権利を愚弄している。だがプロレタリアの苦しみは怒りに転化し、心の奥底にたまった怒りは臨海点に近づきつつある。臨海点に達した怒りは、マグマのように一挙に噴き出す。その時、プロレタリアを虐げてきた鎖が断ち切られ、歴史は大きな転換期=過渡期の到来を告げるであろう。

 私たちは、人類の長い歴史の中で、階級社会が音をたてて崩れつつあるという「前史」の終幕、つまり搾取も抑圧も階級も国境もない社会の入口、人類史の「本史」への過渡期を目の当たりにすることができる、そういう歴史の扉が開かれようとする時代に生きているのである。世界史における資本主義の時代は、やがて幕を閉じる。全ての虐げられし者・プロレタリアが解放される、新しい時代の新しいステージの幕が上がる。

(3)

 「全世界のプロレタリアの団結と解放」を使命とする我々共産主義者は、こうした新しい時代の扉を開く先導役として、「前衛の任」を担わなければならない。反グローバリズム運動のうねりを起こす新たなイニシアティブと共産主義運動再生への新機軸を創造する思い役割が課せられているのだ。

 そのためには、プロレタリアの中に「深く深く、もっと深く」(レーニン)根を下ろし、草の根からの「陣地戦」によって怒りの火種を大きな反抗の火柱に燃え上がらせていくこと、そのイニシアティブとポリシーを創造すること、それこそが今、我々共産主義者に最も要請されているのである。新たなイニシアティブを創造することによって、反グローバリズムの闘いを前進させ情勢を反転させる、それができるかどうかで、「プロレタリアの前衛」であるかどうか、共産主義者の存在意義(レゾンデートル)が決まるのだ。こうした「時代の要請」に応えられなくて、どうして我々は、共産主義者としての役割を果たすことができるのだろうか。我々は自問を迫られている。

 我々(蜂起派)は、2009年3月、共産同首都圏委、同プロレタリア通信編集委とともに「共産主義者協議会」を結成した。それは、「新しい左翼の極」を立ち上げることによって、共産主義運動の再生を期し、新左翼の統一戦線と反グローバリズムの連合の形成・陣地戦に資するイニシアティブを創造するためである。国境を越えたラディカルな連帯行動を通して、プロレタリア国際主義と反グローバリズム運動を前進させていくこと、この「前衛の任」を担うことなくして、長い低迷と立ち遅れから脱却し、新しい左翼運動の展望を切り拓くことはできないと考えたからである。

いま最も求められているのは、変革の構想力とイニシアティブである。どのような戦略・展望によって階級闘争−左翼運動を再生しようと考えているのか、共産主義者は、何よりもその基本的なコンセプトを明確にすることが問われている。「再生か衰退か」、存亡がかかった岐路に立たされているという危機感を共有し、各党派が共産主義運動再生への具体的方策と道筋、展望、創意を提示し、検討、討論すること、それが我々が切望することである。

 新機軸なしに再生はない

〈1〉

 共産主義者がはたすべき役割とは何か。使命はどこにあるのか。どのような戦略で自己を再生しようとするのか。いかにしてイニシアティブを再創造するのか。これらは、共産主義者としての存在意義そのものが問われる課題だ。

間違ってはいけない。単に目先の課題をこなすだけでやり繰りに追われ、その場しのぎの域を出ない短期的な決断の連続によって、命脈が保てると考えているなら、現状の厳しさ、立ち遅れの深刻さを、まったく理解していないか、危機感に乏しいと言わざるをえない。イニシアティブのなさを取り繕い虚勢を張ることに汲々としている限り、じり貧・退潮は免れない。現状維持の内向き志向で悠長に構えている余裕も一服できる暇も我々にはないのだから。

ところが現在の日本の新左翼は、旧左翼(日本共産党)と同じく、「冷戦」時代と変わらない旧態依然とした思考−行動様式から脱却しようとせず、グローバリズムに対抗する戦略的展望やイニシアティブを喪失している。しかもそのことに鈍感だから存在感が薄れていることにも気づかない。率直に言って、日本の左翼党派から自分たちの立ち遅れた現状への危機感は伝わってこない。従来通りで「いいんじゃないの」と気楽に構え自己満足に浸っているような筋さえある。深刻な事態ではないと考えているのだろうか。私には不思議でならない。「なんじゃこりゃ」と違和感を覚える。存亡の危機に立たされても左翼の危機感はなお薄いのだ。

〈2〉

世界中で反グローバリズム運動が大きなうねりを見せている中、日本の左翼運動は、長期の低迷と分散状況から脱却するための反転に向けた兆しさえ未だに見出しえていない。私は、岐路に立たされているというのに、日本の左翼党派や活動家たちが、自らの立ち遅れた現状を深刻に認識していないのではないか、危機感に乏しいのではないか、と疑っている。

 「冷戦」終焉後のこの20年の間、反グローバリズム運動が前進している世界の現状から相対化して見ると、日本の左翼運動は奮闘努力のかいもなく、「周回遅れ」のままで、影響力とイニシアティブはいかにも衰え色あせている。「再生」を言うはやすい。だが、変化する情勢に対応する新たな戦略や展望−新機軸を示せず、困難にたじろいで内向き志向に堕すならば、存在感を維持しうる保証はなく、長期的には廃れていく他ないだろう。

確かに理念のない政治はご免だが、立ち遅れた現状をどう打破し理念を広めていくのは、戦略や展望を失った政治も空虚である。過去に通用していた戦略モデルは、もう成り立たない、と認識すべきだ。問われているのは、今まで通りのやり方やスタイルがこのまま通用するのかを考え見直し、情勢の変化に対応して戦略やイニシアティブをいかに再創造するかだ。「冷戦」時代と変わらぬノスタルジックなドグマは、深酒に似て苦い後味と悪酔いを残すだけだ。「マルクス主義の再生」といっても19世紀のそれの復活ではあるまい。「天気晴朗なれど波高し、ゆえに左翼丸は出帆せず」といったお粗末な対応では「再生」は夢のまた夢である。存亡の岐路に立たされている時だからこそ、左翼は、これまでの戦略モデルや活動スタイルなど旧い殻を破り大胆に変えることを迫られているのだ。自分が帰属する組織や運動の在り方・路線に対しても内向きにならず相対化しうる問題意識を兼ね備えていることが必要だ。「閉じた盟約関係」の限界を越えて、「広く結びつく連帯関係」にシフトしない限り、共産主義運動再生への道程は遠い。

〈3〉

 「再生か衰退か」の存亡の岐路に立つ日本の左翼は、現在、組織エゴのセクト主義に傾斜した「ヘビーな左翼」と大衆迎合の市民主義に埋没した「ライトな左翼」に二極分解しこれが左翼運動の分散と退潮の背景になっている。こうした現状を打破しない限り、左翼全員が敗者になりかねないのだ。土を耕し「革命の種を蒔く」役割を担い闘いの裾野を広げてゆく、そのためのイニシアティブを発揮できずに、どうして共産主義者の存在意義があるのか。プロレタリアの草の根からの連帯で新しい社会運動−労働運動を起こすことによって、初めて反グローバリズム左翼・ラディカルレフトの展望は拓ける。そこに「新しい左翼の極」を必要とする意義がある。

「冷戦」終焉後、右(反共)も左(反スタ)も同様に対峙すべき目標を失ったまま、「冷戦」的思考を変えられず−北朝鮮の「脅威」、朝鮮戦争の「危機」を煽る狼少年スタイルを踏襲―、情勢の変化に対応しえない時代錯誤のその路線の破綻ゆえに、否応なく「自分探し」を迫られ混迷しているというのが実情ではないか。もし「左翼運動の裾野を広げることができなければ、おそらく左翼の中で政治党派としての体を保てるのは日本共産党と革共同だけであろう。他は100人未満のサークル的な政治集団にとどまるにちがいない。だが、それでは、左翼の再生はなく衰退は避けられまい。なぜなら、グローバリズムに対抗する新機軸を立てることも、多様な力を合わせ連携・共闘して草の根から社会運動−労働運動を前進させることも、一党一派の組織エゴのセクト的意識が優先する政治党派にはできないからだ。日共と革共同に共通する致命的な欠陥は、セクト主義ゆえに左翼再生の行方を左右する反グローバリズムの戦略もイニシアティブも生み出せないことである。

苦く愚かな日本の左翼の歴史から我々が教訓を学ぼうとするのは、「進みながらも絶えず立ち止まり、もう一度新しくやり直す」(マルクス)ためであり、「前衛が自分自身を教育し改造する」(レーニン)ためであり、「革命の種を蒔く」(ゲバラ)ためである。なぜなら、「変革への希望」を取り戻すこと、それを果たすことができなくて、どうして共産主義運動を再生させられるのだろうか。我々は、その役割と責任の重さを改めて肝に銘じ、「情熱と創意」「使命感と連帯意識」をたぎらせながら、社会運動や労働運動との連携・協力によって、反グローバリズム運動のうねりを起こすこと、左翼の連合・統一戦線の形成による「陣地戦」に全精力を注ぐ必要がある。そのために残された時間はそう長くない。

 共産主義運動を「どのような戦略・展望によって再生させよう」と考えているのか、その基本的なコンセプトと具体的な道筋、自らの立ち位置と役割をはっきりさせることによって、はじめて長期的な視野に立って決断し行動することができるのではないだろうか。

 2010年、3月のNOVOX国際フォーラム、6月の安保闘争50年、11月のAPEC反対闘争、そして米軍基地の重圧を沖縄民衆に強いてきた日米安保に対する闘い、これらが当面する緊要な課題だ。

 燃え上がれ!怒りのレジスタンス。いつの日か鎖を引きちぎるまで。解き放て!革命のエッセンス。プロレタリアの連帯を築くまで。

 

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