(5面)

反安保・反貧困の統一戦線を!

八木沢二郎(関西共産主義運動)

 

 当面の政治的焦点は、沖縄と労働者派遣法の抜本改定である。当面の課題(通常国会)であるだけではなく、これからの数年の課題としてより普遍的に沖縄−米軍再編−安保と派遣法−貧困問題(雇用を中心とする労働条件と社会保障)が存在する。それは、以下のような情勢に規定された必然のものである。@1970年までのフォーディズム的内包的資本蓄積が行き詰まり、多国籍独占を軸とした外延的強奪的資本蓄積へ米帝を先頭に移行したこと、とりわけ「社会主義」の崩壊によって文字通りの単一世界市場が形成され拍車がかかった。A社会主義の崩壊によって冷戦体制に対応する帝国主義(軍事)同盟から、彼らの言う“テロとの戦いと民主主義の実現”即ち、多国籍企業が自由に搾取、収奪できる市場を保障する軍事同盟へ再編、その一環として米(日)軍再編がある。B対内的には、内法的蓄積に照応する福祉固化体制がいきづまり、新自由主義による規制緩和で労働条件の切捨てと社会保障制度(or税制を含む所得再分配)の劣化が進行し、貧困と格差が拡大した。Cしかし、このようなグローバリズムと新自由主義が、昨年来の金融危機以降矛盾を露呈している。それに対して各国は、財政出動で対応しているが、先進国では、一時的カンフルに過ぎずいわゆる二番底が、せまっている。他方、中国、インド等は成長を持続し政治的にも米中二極体制へと向かいつつある。Dこのような情勢の中で55年体制(自民党政権)の崩壊の上に民主党政権が成立した。東アジア共同体を掲げて対米一辺倒外交の見直し、新自由主義政策の見直しと、政治主導。しかし、いずれもすでに矛盾と限界を露呈しつつある。(民主党政権の基本的性格については「情況」11月号を参照。)

 我々は、このような中で米帝を中心とするパレスチナ、イラク、アフガニスタンへの攻撃−それは近い将来第二のベトナムとなって米帝の消耗を促進する−への反戦・反帝党争と呼応して、米軍再編−沖縄闘争を国際的な反戦・反帝党争の一環として自決権を掲げて戦わねばならない。沖縄は、冷戦体制確立時、朝鮮戦争とサンフランシスコ講和時、その最前線であり、60年安保改定時もしかりであり、70年安保と72年復帰時は、ベトナム戦争の最前線として、現在もまた“テロとの戦い”の前線基地として国際情勢に応じて位置付けをかえながら一貫して犠牲を強いられてきた。闘う側も、沖縄と戦争責任を問わず全面講和か片面講和かを論じ、60年も一般的な民主主義闘争い堕落し、7072年も大勢としては復帰一般だった。米軍再編と民主党政権の成立が重なることによって再三再四、沖縄−安保が、政治的焦点として浮かび上がってきた。戦争・戦後責任を問い、沖縄県民の自決を支持し、日米帝国主義の軍事同盟に打撃を与える闘争を“国民的”闘いとして拡大していかねばならない。

 他方、失業、貧困、非正規雇用の増大は、おそらくやてくる二番底の不況の拡大によって厳しさを増すだろう。労働者派遣砲の改定は、登録型、製造業での禁止の方向で三党の調整が行われつつある。だが、すでに、ブルジョアジーは、契約社員による対応を表明し換骨奪胎の準備に入っている。そして民主党と連合指導部は形式的な法改定でこれを支援するだろう。“抜本改定”とは、抜け道を許さず、資本家の解雇権に縛りをかけ、また同一労働同一賃金の原則によって労働条件を改善することである。状況は、戦後の一時期につぐほどの深さと広さの厳しいものとなるだろう。本格的な階級闘争の時代である。

 戦後史は、4570年(復興と成長、ケインズ的福祉国家)、7090(グローバル化と新自由主義)、902010(単一世界市場の形成と新自由主義の確立と展開)、とおおよそ20年の周期で大きく変化してきた。今後2010年以降、すでに多くの兆候が示すようにグローバリズムと新自由主義の矛盾の展開と階級闘争の激化の時代である。

 このような時代は、中南米に典型のように、新自由主義的翼と広義の社会民主主義と下からの様々な社会運動−政治運動という三者の拮抗と激しい戦い(時には同盟し)の時である(広瀬純「闘争の最小回路」)。日本の現状は、この下からの運動があまりにも弱く、民主党政権を生み出した。

 我々の課題は、この社会運動−政治運動に参加し拡大し(情勢を味方につけて)、更に諸戦線を、反安保−反貧困の統一戦線へと前進させていく事である。

 結論先伸ばし−歴史的転換に立つ

淵上太郎(9条改憲阻止の会)

 

 鳩山内閣成立以来3カ月が経過した。その間、沖縄普天間基地撤去・辺野古新基地建設問題は、日米首脳会談、ゲーツ国防長官来日などを経ながらも、「日米合意問題」に関して、結論を出さないまま年を越す。無定見な本土のマスコミは、盛んに鳩山連立内閣の迷走・漂流を指摘し、日米間の危機なるものを煽り立てている。

 こうした言動に比べれば、ゲーツ来日の前だが、八ツ場ダムで名を馳せた前原国交沖縄大臣の「13年余りたっている。本当に進むのかどうか疑問を持っている」(10月3日)という発言の方が遙かにこの問題に対する深刻な事態を言い当てている。実のところ本当に「進まない」のだ。

 歴史的な政権交代によって成立した鳩山連立内閣は、鳩山自身がどの程度自覚し得ているかは別にして、他に代替地は無いとか、「日米合意」を励行するのかどうかなどという短絡的なあれこれに留まらない包括的・歴史的課題を自ら背負い込んでいる。従来の日米関係の枠内での発想からは、確かに混迷とか漂流とかの評価は当たっている。それはアメリカが言う「イエスかノーか、1218日までに表明せよ」(キャンベル国務次官補)という恫喝と重なっている。3党合意、鳩山内閣の成立は、明らかに沖縄県民の期待を背景に、「日米合意」は、在日米軍の脅迫と自民党政府のそれへの追随、そして政府・防衛省による沖縄県民に対するアメとムチによる苦渋の選択をさせることで、ようやく成り立った極めて不安定かつ脆弱なものである。それぞれの立場からの苦労の所産だからといって「日米合意」なるものが、「唯一実現可能なものである。それぞれの立場からの苦労の所産だからといって「日米合意」なるものが、「唯一実現可能なもの(ルーツ大使)などというシロモノでないことも明らかである。

 普天間基地撤去・返還問題は、基地の老朽化に端を発して、「少女暴行事件」や「大型ヘリの墜落」事件等に触発されて進行してきた。アメリカが励行を迫る「辺野古新基地建設」はアメリカにとって有難く魅力あるものに違いない。が、自身にとってさえ決して唯一無二のものではない。嘉手納基地統合案、海上ヘリ基地案、民間併用空港案、そして移設先も北海道から沖縄下地島空港、伊江島補助飛行場など、それこそ迷走の所産として生まれたものにすぎない。ポスト冷戦における日米間の高度な政治問題であることが事実上忘却されたまま、在日米軍の贅沢なご都合主義に自民党政府が押しまくられるなかで、今や巨額な「公共投資」ともいえる規模に達してしまっていたのである。

 この間、日本政府は正面から、1945年以来続く沖縄の犠牲について、そしてまたポスト冷戦と米軍再編について、対等にアメリカに対峙することはなかった。国内的には都合の悪いことはひた隠し、在日米軍の代弁者として振る舞ってきたにすぎない。歴史的政権交代による鳩山3党連立内閣の役割はまさにこの点において、新たな出発点に立つことを沖縄県民に約束するものであった。沖縄県民の期待は大きい。

 鳩山の頭の中に、確かに日米対等のイメージはあるかも知れない。だが、時代遅れの強圧的な米軍に要求を跳ね返す展望、世界のなかで平和憲法を国是とする名誉がある一独立国としての振る舞い方を確立しているとは必ずしも見せない。しかしまた、このまま歴代の自民党内閣と同じ結論に陥るための政権交代選挙ではなかったことは、我々にとっても鳩山内閣にとっても自明なことである。これは転機である。

 だからこそ、本土の我々が沖縄県民の闘いと呼応して、鳩山内閣を二重、三重に包囲する大きな闘いの流れをつくりだすことは、普天間基地撤去(県外・国外移設)を現実のものとする差し迫った重大な課題となるのである。

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