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4・17沖縄の闘いに連帯する高良勉さん講演集会

 鳩山政権による普天間基地移設、辺野古回帰という最悪のシナリオ、5月末日米共同声明が迫る中、東京の千駄ヶ谷区民会館において標記の講演集会が開催された。主催は、4・17沖縄公演集会実行委員会、約70名の参加の中、盛況に勝ち取られた。

 最初に、沖縄の詩人であり活動家である高良勉さんの講演である。

 冒頭、高良さん自身による『安波節』の三線演奏から始まった。琉球民謡の基本ともいわれるこの古典音楽は、沖縄本島北部の山村の若者たちの恋心を歌い上げた名曲である。

 

「帝国」の周縁からの視線

 

 司会・実行委員会挨拶に続いて、高良さんの講演では、島尾敏雄の『ヤポネシアと琉球弧』の有名な一節を披露、講演の視点のプロローグが示された。戦後、沖縄は1949年6月の米軍政による差別支配の中で生きてきた。こうした沖縄住民の強いられた歴史を話しながら、さらに、現在の沖縄へと結びつけていく。

 

2009年、2010年とは

 

 昨年の2009年とは薩摩侵略(1609年)から400年、琉球処分(1989年)から130年、アイヌモシリ併合140年といった節目の年であった。そして今年の2010年とは、1960年の安保改定から50年。韓国併合から100年の区切り。これらは単に節目の問題というより、沖縄が「帝国」の周縁諸国とともに強制された長い歴史の流れを確認するキーワードである。日本で闘われた安保闘争は、沖縄が基地を押し付けられ安保闘争の視界から抜け落ちていたと高良さんは指摘する。日本の安全保障のためには沖縄の犠牲はやむをえないという日本政府の差別政策と同様に、日本人民の闘いの限界性をも問いかけた。

 

琉球弧の闘いからの教訓

 

 沖縄の闘いは、「島ぐるみ闘争」(1950年代)以来、生活、生産、文化の三位一体の闘いが特徴である。家族、地域ぐるみの闘いが沖縄の闘争の歴史を形作ってきた。「小異を残して大同へ」という運動の大らかさが今日の県民大会などに繋がっているという。

 こうした闘いの伝統をもとに、沖縄では2月には県議会による「県外移設を求める意見書」の採択、4月、5月に開催された県民大会や普天間基地包囲行動など、今後の新基地建設を阻止する闘いも継続せざるをえない。もはやこれ以上、沖縄は基地負担を受け入れることはできないというギリギリの局面に達している。沖縄人民の『怒』に応えるヤマトの闘いの力量が決定的に問われているといわなければならない。

 

辺野古新基地建設を阻止せよ!

 

 公演後、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの上原成信さん、命どぅ宝ネットワークの太田武二さんの連帯の挨拶を受け、鳩山政権の辺野古新基地建設への回帰を許さず沖縄と連帯して闘うことを確認し閉会した。

 翌18日には、静岡市内でも高良勉さん講演集会が約100人の参加で行われた。

 

後藤道夫氏を招いて5・9関西(KCM)シンポ

 

 5月9日『現代帝国主義とオルタナティブ―新福祉国家構想をめぐって』と題して、後藤道夫氏(都留文科大学教授)を講師として開催された。後藤氏は、渡辺治氏と共に日本共産党の“左派”の論客であるが、「新左翼」系のKCM参加を了解して頂いた。後藤氏の現代帝国主義批判は、レーニン『帝国主義論』の歴史的限界を踏まえて「『帝国主義』は資本主義の特定の段階ではなく、資本主義の機能あるいは属性、帝国主義は資本主義とともに、あるいは、国民国家システムとともに古い」とされ、自由貿易―列強―現代帝国主義と把握された。そして、主要に「大衆社会統合」の形成と変遷に注目されて、新自由主義とその結果を「大衆社会統合の再収縮」と把握され、「対抗運動」オルタナティブとして「新福祉国家構想」を提起された。コメントとして、八木沢氏からは@レーニン『帝国主義論』は「革命の現実性」が骨子であり、現代は「新自由主義か社会主義か」ではないかAその上で最小限、過渡的綱領として「新福祉国家構想」を理解sるうとして「過渡期社会・社会主義(社会)」との継続、連関はどう考えるかB民主連合政府(二段階革命)との関連はC大衆社会統合の再収縮と非正規労働者等の社会的労働運動の再生は同意出来ると提起。討議は、ソ連「社会主義」総括から過渡期社会・社会主義論等々に及んだ。(岩田吾郎)

 

破綻した「ホームレス自立支援法」

「居住の権利」求め社会的排除と闘おう!  

 

 「居住(住まい)の権利」から閉め出され「屋根」はあっても住まいを持たざる者(居住喪失者)――宿(寄せ場の簡易宿泊所等)、店(ネットカフェ等の飲食店)、寮(飯場や仮設宿舎)、施設(臨時宿泊施設)、福祉施設、病院、刑務所等)の広義の「ホームレス(居住喪失)」状態にある人々―を分断し、生活保護や居住権からの排除・社会的排除を隠蔽する機能を担っているのが現在の「ホームレス支援特措法」(02年制定)である。野宿者(路上生活者)だけを対象に公的保障(生保等)にたよるなと「就労自立」を促し、当事者の自己決定権や権利主体としての意識を解体し、「自立」を促される客体として「就労意欲」のある者と「怠惰」な者とにふるい分ける棄民政策の一種に他ならないのだ。

 したがって今、ホームレス支援運動に求められている課題は、生存権に不可欠な居住権の保障を要求し、「権利としての社会保障」を要求する主体の形成や権利意識の確立を妨げ、社会的権利の剥奪・排除を隠蔽するホームレス自立支援法に対抗して、人間らしく生きるための権利・社会的権利から排除された人々(居住を喪失し生活に困窮する人々)の立場に立った新しい社会運動を創り出すことである。そのために克服すべき課題を2点提起したい。

第@に、貧困(あるいは究極の貧困である居住喪失状態)との闘いは、生存権を巡る闘いであり、したがって社会的排除との闘いが不可欠だということである。貧困問題を「資本と賃労働」のシェーマ(図式)で経済的次元の所得を尺度にして捉えてきたため、社会的権利からの排除が生活や雇用の不安定(プレカリテ)を生み出し貧困・半失業を拡大しているという現実に対応できず思考停止に陥って社会的排除との闘いに無関心でネガティブな活動家が少なくないからである。「新しい貧困」の背景にある生きる権利に不可欠な社会保障や公共サービスにアクセスする権利、労働市場(働く権利)からの排除・閉め出しを問い、貧困を政治的・社会的次元から、より広いフィールドで捉え、生存権や社会的権利にアクセントを置いた社会的排除と闘うことが「新しい社会運動」の必須の課題なのである。

第Aに、生存権に不可欠な社会的権利である「居住の権利」を保障させる闘いがネグレクトされている一方で、この決定的に重要な「権利のための闘い」が「権力に対する(異議申し立ての)闘い

」と分断されている現状を克服することである。(1)社会保障は権利ではなく「恩恵、施し」であり貧困の原因は「怠惰」であるという新自由主義のマインドコントロールに対抗できないため「福祉よりも雇用(就労自立)」とか「生保よりも拠点防衛」等と唱え、当事者が生保や福祉か雇用かを選択する「自己決定権」を阻害し、居住権や公共サービスにアクセスする権利が奪われ社会的排除を被っている(それゆえにホームレスである)現実を不問に付している傾向が活動家の中に散見される。実際、社会保障コストを削減したい行政の下請機関化している NPOの脱政治化は著しい。(2)新自由主義のイデオローグであるM・フリードマンが「就労意欲を減退させるように機能している社会保障制度を解体していけば」(『選択の自由』)人々を競争に駆り立て分断し経済成長をもたらすことができると述べているように、「社会保障の解体」が規制緩和、民営化と並ぶ新自由主義の柱である以上、「権利としての社会保障」を要求する社会的排除との闘いこそ反グローバリズム運動の「新機軸」として押し出すことが肝要なのである。社会的権利(居住権等)が保障されていたなら、人と人とのつながりや連帯があったなら、死なずに済んだ人がどれだけいただろうか。この問い掛けに応えられなくて社会運動の存在意義があるだろうか。

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