(4面)

沖縄を犠牲にした「冷戦」時代の遺物

日米安保を葬れ!

槙 渡

 

 「冷戦」終焉後の新世界秩序の破綻

 

 2003年に米ブッシュ政権が始めたイラク侵略戦争は、フセイン政権を倒したのだが、「冷戦」後の米一極支配(パックス・アメリカーナ)の世界秩序が幕を閉じる始まりになった。そして今回の金融危機は、米国主導のドル基軸体制の黄昏を告げた。

 アメリカ帝国主義による一極支配という「蜃気楼」が消え、グローバル金融危機を引き起こした新自由主義はヘゲモニーを失った。だが、金融危機を裁く人民裁判で、真犯人である新自由主義は被告席に引き立てられ、遠島に処せられたものの獄門を免れ復活を企んでいる。

 いまや世界は、「冷戦」終焉後、グローバリゼーションを背景に多極化時代を迎え、「冷戦」時代の旧いパラダイムの転換を政治的にも経済的にもそして軍事的にも強いられているのだ。とりわけ帝国主義の軍事戦略―日米の安全保障戦略にとって、「冷戦」の終焉は、ソ連を脅威(仮想敵)の対象としてきた軍事力の展開の必要性を喪失させたことによって、「地域紛争や同盟国への侵略を抑止する」軍事プレゼンス維持のための「新たな脅威」を見つけ出さなければならなくなった。

 一方で、グローバル資本主義時代の世界市場へのアクセスを確保し世界市場の分断を防がねばならないというポスト「冷戦」時代の新たな情勢に対応するための戦略の立て直し再編成が迫られたのである。

 ところでが米国の新世界秩序構想すなわち安保戦略の転換の破綻はもはや誰の目にも明らかになった。イラクばかりかアフガニスタン情勢も混迷の度を深め、隣国の核保有国パキスタンの政情さえ不安定だ。「2001年9・11事件」以降の「テロとの戦い」は、米国の国際的威信を失墜させただけだった。しかも米国の対同盟国−軍事的・経済的安全保障政策も大きくブレてきた。

 

存在理由失った日米安保

 

 1952年4・28に発効し60年の改定から今年で50周年を迎える日米安保条約は、戦後米ソが対立する「冷戦」時代に成立し、ソ連を仮想敵国としてきた。それゆえ、「冷戦」の終焉とソ連―東欧「疑似社会主義体制」の崩壊は、日米にとっての「脅威」を消滅させ、日米安保の存在理由そのものも根幹から揺らぐことになったのである。だが、90年代後半に入ると日米安保の「再定義」が行われ、その緊密化・強化が進められた。国内政治では自民党がすぐに政権に復帰する一方で「戦後55年体制」下の保革対立の構図を担ってきた「革新勢力」は衰退。その結果、日米安保や自衛隊の是非は主要な政治争点から退き、日米安保の機能や自衛隊の問題に安保―防衛政策上の焦点は移った。

 こうした中、91年の湾岸戦争を契機にして自衛隊には「国際貢献」を大義名分とした海外派兵という新たな役割が付与された。92年PKO協力法、97年いわゆる新ガイドライン(日米防衛協力のための指針改定)、99年周辺事態法、01年テロ対策特別措置法が成立。こうした一連の動向に見られるように、日米安保のグローバル化と自衛隊の海外派兵が顕著に進められた。ところが米国は2008年に「テロ支援国家」から北朝鮮をはずし、在韓米軍も削減しつつあるのだ。

 そもそも日米安保は非対称的な相互依存関係にあると言える。米国は圧倒的な軍事力を背景として「世界の警察官」を自任してきた。しかし日本には、そのような役割を果たすような軍事力はない。また憲法9条による制約もある。だが米国は安全保障戦略を遂行する上で、日本の協力を必要としている。米国が日米安保同盟から得ている利益は大きい。こうした日米安保の相互依存の同盟関係は、「冷戦」後の安全保障の長期にビジョンを日米双方とも持ち合わせていない、という点においても「相互依存」なのである。

 

軍事ケインズ主義の終焉

米一極支配の黄昏

 

 チャルマーズ・ジョンソン(米カリフォルニア大名誉教授)は、米国は海外に761の基地を持つ軍事大国だが、その一方で「中国に国債を買ってもらい巨額貿易赤字を穴埋めしてもらう奇妙な超大国だ」と述べ、「1929年に始まった大恐慌を第2次世界大戦の特需で克服して以来、米国には軍需産業における投資が経済を良くするという誤解が生まれた。実際に軍需は民需ほど消費や投資を生み出さない。〈中略〉 世界が軍事力を展開する人々に支配されてきた時代は終わった。グローバルな競争、覇権の性質は根本的に変わりつつある」として、「(日本は)憲法9条を捨ててはいけない。それが理想主義を呼び起こし日本に役立つ最善の方法だ」(09年2・13付毎日「危機を解く」)と語っている。そして、彼は、『軍事ケインズ主義の終焉』(『世界』08年4月号)で次のように指摘しているのである。

 「軍事ケインズ主義は、戦争を頻繁に行うことを公共政策の要とし、武器や軍需品に巨額の支出を行い、巨大な常備軍を持つことによって、豊かな資本主義経済を永久に持続させられると主張する。これは謝った信仰である。実際は、まったく逆だ。〈中略〉 アメリカは支払い能力を超えようがおかまいなしに、石油をはじめ何から何まで輸入する。これは、ただ舶来品好きというだけで済まされる話ではない。この支払いに充てるために、合衆国は莫大な借金をしている。〈中略〉この巨大な負債を生んだ最大の原因は、世界中の国々が持つ防衛予算の総額にたった一国で対抗できるまでに増大した軍事支出である。〈中略〉 軍事支出を続ける仕組みは、もうアメリカの民主政治体制に深く組み込まれていて、いま大惨事を招こうとしている。このイデオロギーを『軍事ケインズ主義』と呼ぶ。なんとしても戦争経済を永遠に続け、軍事に金を使っていれば経済を潤すと信じるイデオロギーである。〈中略〉政府は、軍需産業と民需産業をともに発展させるつもりでいた。だが、この計画は、時とともに脆くも崩れ去る。軍需産業が民需産業を圧倒してしまったために、アメリカ経済は深刻な弱体化に陥った。軍事ケインズ主義を信奉することは、経済にとって、ゆっくりと死に至る自殺行為に他ならない。」

 そして彼は、「帝国主義による戦争で世界支配をもくろんだはいいが、その策謀を支える財政の問題をどうすることもできない」のがアメリカの実態だと述べている。

 またアメリカのマルキストの代表的な論者の一人であるエレン・メイクシンズ・ウッドは、「『グローバリゼーション』とともに、アメリカの資本が経済的に到達できる範囲と、アメリカが政治的に掌握できる範囲のギャップが拡大してきた。アメリカの軍事的ドクトリンは、このギャップを埋めようとする。ところがアメリカ合衆国の巨大な権力も、地球全体を覆いつくすことはできない」(『資本の帝国』紀伊国屋書店)と述べ、「軍事力の優位を確保するという基本原則は変わらないものの、アメリカ一国の軍事力だけで世界を支配することはできなくなっていることを指摘している。

 

 グローバリズムと安全保障戦略の変容

 

 これまで「冷戦」時代において米国は、「強いドル」政策の下で、80年代ではドイツ、90年代は日本という基本的に自国の安全保障を米国の軍事力に依存する国(中東の産油国も含まれる)に米国債を買ってもらうことによって―安全保障とのバーターで―貿易収支の赤字の拡大を心配せずに海外から買い物ができた。米国の圧倒的な軍事力の庇護(安全保障)の下で、石油等のエネルギー資源を確保し製造業の分業体制を維持する。その見返りに用心棒代として米国債を保有するという構図だ。ところが、「冷戦」終焉後、中国とロシアという米国の防衛に依存しない2国の黒字が急増し、対米関係によってはドル資金を引き揚げうる立場になりかねない相手に米国は赤字ファイナンス(資金調達)を依存してしまった。これまで日本やドイツといった安全保障上の同盟国とは反対の最も望ましくない国(中国は米国債、ドルの最大の保有国)が、ドルの行方を左右しかねないのである。これが「冷戦」時代との大きな違いである。

 「冷戦」終焉後の世界を支配するグローバリズム・帝国主義の軍事戦略および戦争性格の変容について、西谷修(東京外大教授)は「2001年9・11事件」を契機にしてアメリカが打ち出した「テロとの戦争」が、「冷戦構造に代わる新たな世界大の戦争レジームとなった」(『世界』0711月号)と指摘し、次のように論じている。

 「たしかに、すでに6年を経て『テロとの戦争』の破綻は覆いがたい。圧倒的軍事力によるこの『非対称的』戦争によって、『テロ』は撲滅されるどころか逆に蔓延し、イラクもアフガニスタンも統治のめどは一向に立たないし、その陰でパレスチナでは混迷の底板さえ抜けてしまっている。その意味では失敗は明らかだが、それでも、というよりもそれゆえにこそ、この『戦争』は明らかな『成果』を残した。それは冷戦後のグローバル世界秩序の『安全保障』の図式を明確にし、ほとんど定着させたことである。〈中略〉グローバルな次元の出現、あるいは〈経済〉秩序がグローバルに前面化するにつれて、それぞれの国家の主権的政治は相対化され、それにともなって国家間戦争をモデルにした戦時と平時の区別も希薄になり、〈軍事〉はグローバルな経済秩序に対応したものとなる。アメリカの『テロとの戦争』は破綻したが、それはこのような事態の要請とそれへのドラスティックな対応に明確な形を与えたのである。」

 

 沖縄を犠牲にした日米安保体制

 

 普天間基地問題について全国の学者・知識人ら―西谷修、前田哲男、水島朝穂、山口二郎、和田春樹、沖縄の新崎盛暉、大城立裕、大田昌秀、我部政明、新城郁夫、高里鈴代、高良勉、仲里効、由井昌子氏ら―が4月23日に発表した声明では、「日米安保条約は、冷戦時代の遺物」であるとして、米海兵隊の撤収を求めている。声明文の抜粋を以下紹介する。

 「そもそも政権が奔走し、メディアが関心を集中させたのは、『基地用地』探しばかりであった。いま考えるべきことは、本当にそのようなことなのだろうか。むしろ冷戦時代の思考法である『抑止力』とか『敵』とか『同盟』といった発想そのものを宇亜外、その呪縛から逃れることが必要なのではないか。〈中略〉私たちは、米軍基地の代替地をタライ回しのように探すのではなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍に勝手気ままにしようさせている構造こそを問わなければならない。日米安保条約は、冷戦時代の遺物であり、今こそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛協力の指針)などを含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンスである。その作業を開始することを、日本政府、そして日本国民に訴える。」(4・24付琉球新報)

 「北朝鮮や中国の侵略」を抑止し日本を防衛するのは日米安保しかないという時代錯誤の「脅威」に操られ強迫観念にも等しい謝ったイデオロギーにマインドコントロールされてきた安保意識は、もはや「冷戦」時代の遺物でしかない。日米安保体制は、戦後憲法体制(とりわけ9条)から切り捨てられ米軍基地が集中する沖縄を「捨て石」とし犠牲にして成り立ってきた。今なお沖縄の人々は、日米安保の下で米軍基地の重圧を背負わされ生活と命を脅かされている。振興策と引き換えに基地受け入れを迫るのでは、沖縄の民意を愚弄してきた歴代の自民党政権と鳩山政権も何ら代わらないと言える。沖縄を犠牲にした日本の「繁栄と平和」はフェア(公正)じゃない。日米安保の矛盾と犠牲が最も集中する沖縄の怒りは、いまやマグマのように沸騰し、普天間基地の即時閉鎖―米軍基地の撤去を求め、日米安保を最も深く揺るがしている。「公正・平等な社会」への変革のためにも怒りに燃えて行動することが今ほど求められている時はない。60年安保改定から50年を迎える今こそ日米安保を葬る時だ。

 「冷戦」終焉後、圧倒的な軍事力を持った米国は、自分の都合のいい理念や利益を反映した世界秩序をつくり上げようとした。だが、新世界秩序どころかイラクの秩序すら構築できない。新自由主義・グローバリズムは世界中で貧困・社会的排除を拡大して最も貧しい人々をより貧しくし生存権を脅かしている。不公正・不平等でいびつな秩序を押し付け弱肉強食の貪欲な競争に人々を駆り立てている。資本主義は、かつてないプロレタリア・虐げられし者の怒りと抵抗に遭遇せざるを得ないのであろう。グローバリズムに反抗する新たな変革の鼓動が今、草の根から国境を越えて世界を揺さぶり人々の心を共振させ始めている。沖縄民衆をはじめ虐げられし者の苦しみの中に宿った怒りの火種は。誰にも消せない。

(本稿は『情況』6月号よりの転載)

 

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