反帝―反グローバリズム!プロレタリアの新星たれ!

槙渡(共産同蜂起派)

 

新時代の扉を開く「新しい左翼の極」

 

 今や世界は、危機と激動と変革の時代を迎えている。情勢が一変する歴史の大きな転換期に直面している。アメリカを震源とするグローバルな金融―経済危機は、大恐慌以来といわれる世界同時不況と大失業時代の到来を告げている。「冷戦」時代終焉後のアメリカ一極支配(パックス・アメリカーナ)の世界秩序が足元から揺らいでいるのだ。「百年に一度」の未曾有の金融危機を招いた新自由主義とグローバリゼーションの破綻はもはや誰の目にも明らかになった。

 経済システムのみならず既存の政治・社会のパラダイム自体が壊かけている。「酔いどれ大臣」の酩酊会見で醜態をさらし迷走する麻生政権の凄まじさ。路頭に迷う失業者や生活に困窮する貧困層の増大。こうした矛盾が噴出する中で、今までの仕組み・戦略が通用しなくなり、時代の変化に対応する有効なポリシーを持たない政党は、左右を問わず行き詰まる他はない。否応なしに再編や転換、変革を迫らざるを得ないのだ。

 このように政治的にも経済的にも危機と混迷の度合いが深まるほど人々の間には不安感や失望感が広まる。我々は、こうした状況にむしろ希望を持っている。失業・貧困・社会的排除に対応できず機能不全をきたしている既成の左翼や労働組合は、その存在意義を発揮する機会を逃し信頼を失ってきた。

 雇用(失業)保険から排除された非正規労働者の急激な解雇、失業問題に既成の労組は相変わらず対応できないでいる。既存の左翼も落ちるところまで落ちると、そこから「新しい左翼」が生まれる可能性が見えてくるんじゃないか。

 すでに最も貧しく虐げられた者の中に、資本主義への怒りと現状打破への渇望が宿り、変革への希望が生まれつつある。

 いま我々左翼に求められているのは、この国の右に偏した政治の重心を左に引っ張り返すことである。そのために搾取と抑圧に反対し、社会的な公正と平等に基づいた社会を実現するために「生きる権利」(生存権)を要求して苦闘しているプロレタリア民衆のあらゆる草の根の行動を支持し連帯することである。全世界の虐げられた民衆、とりわけパレスチナや韓国の民衆との国境を越えた連帯が世界を変えるのだ、こうした反グローバリズム運動のうねりを起こす先導役として、新時代に先駆けるイニシアティブを創造する前衛として、「新しい左翼の極」が今ほど求められている時はないのである。この役割を担えるかどうか、まさに「時代の要請」に応えられるかどうかで。政治党派の存在価値が試されるのだ。

 共産同(ブント)結成から50年、そしてマルクスらの共産主義者同盟の宣言(いわゆる「共産党宣言」)から160年を迎えたいま、ブントは「新しい左翼」としての存在意義を示せるかどうかの瀬戸際にある。我々は、60年安保闘争の高まりを通してこの国の政治の舞台に「新左翼」を登場させたブントの輝き―それは第1に政治変革におけるラディカリズムであり、第2に大衆行動におけるダイナミズムであり、第3に連帯・団結におけるインターナショナリズムである―、その輝きをもう一度取り戻したい。極北に輝くプロレタリアの希望の星として、「新しい左翼の極」を創らなければならない。我が共産同(蜂起派)は、共産主義運動の再生すなわち共産主義者のイニシアティブの再創造を通して、プロレタリアの国境を越えた連帯と草の根の大衆行動を発展させ、「希望のインターナショナル」の建設に向けて新時代の扉を開く。ブント系諸団体および諸個人と力を合わせて我々は、「共産主義者協議会」を結成し、そのための一歩を踏み出す。

 

問われる前衛のイニシアティブ

 

 反グローバリズム運動が世界中で歴史的に大きなうねりを見せている。だが、この国の左翼運動は、長い停滞から脱しえずいわば「周回遅れ」の状態にある。問題なのは、立ち遅れた現状の深刻さを自覚せず無頓着で危機感に乏しい左翼活動家が少なくないということだ。このことに国際的な運動事情に疎い日本の左翼のダメさが象徴されていると言える。

 日本の左翼運動の現状は、セクト主義的で単独行動主義に傾斜した「ヘビーな左翼」とポピュリズム的で市民主義に埋没した「ライトナ左翼」に二極文化している。しかも、「狼少年」のようにありきたりの誇張で戦争や恐慌の万年危機論を唱えるだけで、説得力に乏しく時代錯誤のカビ臭い言葉でしか情勢を語ることができないから、人々の心に響かない。今日のグローバリズムに対抗する新機軸を立てられないので、反戦運動や反改憲運動、あるいは反貧困運動においてもしたり顔で空疎にしか聞こえない紋切り型の正論を垂れているだけで、イニシアティブの喪失、前衛不在の状況に危機観さえないのだ。

 私は本当に不思議でならない。これだけ日本の左翼運動の土壌が痩せ衰えている状況なのに、なぜこの現状を改めようとしないのだろうか。一党一派のセクト的利害に縛られている限り、全員が敗者になりかねないのだということをもっと自覚する必要があるのではないか。一党一派のセクト的利害に縛られている限り、全員が敗者になりかねないのだということをもっと自覚する必要があるのではないか。

 我々は、左翼運動の退潮、停滞に対する危機感を共有し、共に力を合わせ連携して、まず土を耕し種を蒔き芽を育てるところから始めなければならないのではないか、と考えている。草の根レベルから運動の再生を模索しない限り情勢を反転させ展望を拓くことはできないだろう。

 今後1〜2年で、20世紀には予想もつかなかった激しさで矛盾が噴出し、旧来のあらゆる分野のパラダイムがきしみ通用しなくなる、世界がドラスティックに変わりうる、そういう可能性が大いにある時代に、情勢に臨機応変に対応する柔軟さのない政治党派には未来はない。一党一派のセクト的な駆け引きやマヌーバー政治にうつつを抜かしている場合じゃない。「衰退か再生か」という存亡の岐路に立たされている新左翼は、今こそ統一戦線や反グローバリズムの連合をつくることに努力を傾注すべきだ。

 「深く深く、もっと深く」(レーニン)プロレタリアの中に根を下ろし、草の根からの陣地戦を通して怒りの火種を大きな抵抗の火柱に燃え上がらせていくこと、そのためのイニシアティブとポリシーを創造すること、それが今、最も求められている課題であり、「プロレタリアの前衛」の役割だ。その政治的役割を我々は果たしえているのか、自問を迫られている。ラディカルなイニシアティブを創造し、反グローバリズムの闘いを前進させられるかどうか、それが共産主義者の存在価値を決めるのだ。この「時代の要請」に応えられなくて、どうして新左翼に未来があるのか。政治的影響力の後退やイニシアティブのなさをごまかし偽装するような旧い思考―行動様式や体質、つまり旧弊は打破すべきだ。

 我々がマルクスやレーニンの思想(哲学)から学ぶべきは、「絶えず自分自身の不十分さ・弱さを批判し、もう一度はじめからやり直す」という思想なのではないか。

 それは「プロレタリア革命は、絶えず自分自身を批判し、進みながらも絶えず立ち止まり、すでに成し遂げられたと思えたものに立ち戻っては、もう一度新しくやり直し、自分がはじめにやった試みの中途半端さ、弱さ、けちくささを、情け容赦もなく、徹底的に嘲笑する」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』1852年)というマルクスの思想であり、「肝心なことは、前衛が、自分自身を改造することをおそれず、自分には訓練も能力も足りないことをあからさまに認めるのをおそれないことである」と、「第一に、学ぶことであり、第二に、学ぶことであり、第三にも学ぶことである」(レーニン全集33巻)というレーニンの思想である。

 我々は、まさに前衛が自分自身の立ち遅れ、弱さ、誤り、失敗を率直に認め、絶えず自らを変革することをためらわない、という思想こそ「プロレタリア解放」の核心であると考える。これこそサパティスタが言う「問いかけながら前へ進め!」という思想なのではないか。

 

希望の情熱の火を絶やさず「革命の種を蒔く」

 

 今、我々共産主義者―新しい左翼に求められていることは何か。共産主義者の存在価値が試される「嵐の時代」に我々が「なすべきことは何か」。かつてレーニンが投げかけたこの問いに、我々はまだ答えられていない。

 我々に問われていることは、5―10年先を見据えて、情勢を反転させ階級闘争―反グローバリズム運動の展望を切り拓くには、どんなイニシアティブ、戦略、運動―組織論が必要かを明らかにし、どう力を合わせ連携していけるのかということだ。それがこれからの左翼運動にとって最大のテーマになると考えている。

 我々は、ブント系諸団体諸個人と力を合わせ、この国の情勢を反転させる「新しい左翼の極」として共産主義者協議会を結成した。これは共産主義運動再生への「小さな一歩」にすぎないかもしれない。だがブント結成50年という節目の年を迎えて、何年か後に振り返ってみた時、この年がブントの歴史にとって「新時代の扉を開いた」そういうターニング・ポイントの年だったと記憶されるように、我々は、共産主義運動の再生と共産同(ブント)の再建のために情熱と心血を注いでいくことを表明する。

 メキシコのサパティスタ(EZLN・サパティスタ民族解放軍)のメッセージに「越せぬ塀はない。開けられなぬ扉はない。崩せぬ壁はない。」そして「希望のインターナショナルの生命力に満ちた基本原理は連帯であり、「革命は連帯の上に築かれなければならない」と語ったように、我々は、いくつものさえぎる壁を乗り越え、いくつもの国境を越えて、「現代社会の最下層である」プロレタリアの連帯を築くことによって、「希望は取り戻せる! 世界は変えられる!」と訴えていかなければならないのである。

 かつてゲバラがコンゴでの闘いに挫折した後、革命への試練の旅の途上で、再び前へ進むために自らの心を奮い立たせるようにこう語った。「我々は次の世代のために革命の種を蒔いている。それがいつか実を結ぶであろうことに希望を持っている」。

 我々は、未来への希望と情熱をたぎらせ「革命の種を蒔く」ことに心血を注がなくてはならないのだ。「どのような試練があろうと、未来は我々のものである」(レーニン)からだ。

 我々は「未完の革命」の旅の途上にある。それは容易にはたどりつけない長く険しい試練の道程だ。だからこそ「全世界のプロレタリアの団結と解放」を使命とする共産主義者は、「苦しい試練や新しい困難に立ち向かうことができるほどに鍛えられた」(レーニン)革命的前衛として―「新しい左翼の極」として―心に「希望と情熱」の火を絶やしてはならないのだ。

 情勢が反転し潮目が変わるまで我々はこれからも多くの困難に直面し時には挫折を味わうかもしれない。そのたびに我々は一からやり直すことをためらわない。どこまでもラディカルに、いくつもの試練に挑んでいく。たしかに我々の前途は険しく道程は遠い。だが夜明け前の闇の中で、我々は闘いの炎を燃やし続ける。我々の「革命への試練の旅」は終わらない。

 「再び前へ!」、我々は、共産主義者協議会を立ち上げ、「新しい時代の扉」を開く。そして独創的で型にはまらない「新しいイニシアティブ」を創造するために新たな闘いに旅立つ。ここから新しい左翼運動の新しいステージが始まる。我々は必ずや漆黒の闇に輝く「プロレタリアの新しい星」になる。

 

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