協議会結成への連帯アピール(T)

 

                連帯と共同行動を可能にする旗揚げを

                                前田裕晤

 

 今、現出されている事態の特徴は新自由主義的な資本主義の行き詰まりが、全ての社会現象に露呈されていると思います。

政治・政党・経済・企業の全てに、社会的に役割を担う規範が崩壊しており、判断基準がありません。

 経済は恐慌に突入しているにも拘らず、認めようとはせず、政治の機能は完全に麻痺しています。この価値観を喪失し機能不全になっているのは、労働運動も然り、新たな左翼政党も、批判を承知の上でのべるなら、その輪の中にあると判断します。

 既成政党の腐敗は論ずる迄もなく、60年代安保は共産党の「神格化された前衛」観を否定しました。70年に至る反戦・全共闘の運動は、戦後築かれた社会的価値観の擬制を暴き尽くしました。

 しかし、それに代わる新たな社会展望を全体に提示する事には失敗し、社会の期待に応える事は出来ず、40年が経過したのです。

 日本の新左翼労働運動は、共産党に代わる新たな前衛党の建設として諸グループに分かれ、その努力をしてきたと思いますが、その運動は背後基盤の大衆と共にあったというよりは自己満足的な運動に終始したと思えるのです。

 「年越し派遣村」は、生存権・憲法25条の問題と格差社会がもたらす現実を突き付け、支援には連合、全労連、ぜんろうきょうが枠を超えての共闘が、多数のボランティアの参加で、世間を巻き込む状況を作りだした。各政党は現実の生存を問われる事態に、派遣法の改正を含めた幾つかの点で見直しを引き出す事になりました。

 波及効果は各地に広がり、雇用問題から政治課題になりました。本工中心の企業内組合では、解決能力はありません。労働運動も存在を問われているのです。

 国政選挙は、9条、25条を含めた、恐慌下の政治選択が問われるのは必然です。

 この現実世界にノータッチの政治組織の存在は、私見を述べれば、意味を持たないでしょう。自己組織のみでは果たせる課題でなければ、いかに連帯して共同行動を深め、次へと目指すべきではないでしょうか。

 貴組織の結成が、大きな戦線作りのファクターたらんことを願って私のメッセージとします。

 

                   「革命的高揚」の時期が始まった

                              八木沢二郎(関西共産主義運動・代表)

 

 先進帝国主義の足下で危機は進行している。これまで、米帝による新自由主義政策のもとで、中南米の農業等の収奪に対する中南米左派政権の樹立や、中東での米・イスラエル同盟への抵抗としてあった国際階級闘争の昂揚はこうして先進帝国主義足下に及び、或いはBRICs等の開発途上国にも波及している。構築された多国籍企業と金融権力を軸とした“帝国”の崩壊が開始されつつある。

 このような情勢での゛革命的昂揚≠ヘ68年のような゛政治闘争≠ナはあり得ない。それは第1に、出来上がった世界市場を前提とする文字通りの世界同時階級闘争昂揚である。第2に、本質的な経済危機に根ざす経済的・社会的・政治的闘争が結合する階級闘争でしかあり得ない。

 ブルジョワジーは各国でこのような危機に対応する政治体制の構築へ向けて動き出す。それは一見、経済対策、失業者対策等、これまでの市場原理主義=新自由主義からの決別を目指した大きな政府、ケインズ的政策の観を呈す。現にオバマがそうであり、近く出来るであろう民主党政権も同様であろう。しかし、68年以前への逆戻りは、既にその物質的基盤が存在しない。である以上、やがて強権的なナショナリズムを煽ってどこかに戦争の危機を創り出して国民を国家へと動員する以外に無い。

 我々はこのような中で、いわば二重の闘いを担わなければならない。

 第1は、上記した新たなブルジョワジーの政治体制構築―それは、日本では日米同盟の再編強化と改憲体制を軸とする―に対抗する政治的統一戦線の形成と、首切りや労働条件の悪化、社会保障制度の劣化に対する労働組合運動の強化―その旗は当面「社会運動ユニオニズム」である―これを一体化し結合した戦線の構築である。この戦線は出来る限り広範にして柔軟なものでなければならない。

 第2は、このような闘いや戦線の中で、明確な革命的左派=マルクス・レーニン主義と同盟者の潮流を形成する事である。

 第1の統一戦線はそれとしては人民戦線、あるいは民主連合政権と変わりは無い。だが、その未来へ向けたヘゲモニーが不断に問われる。我々は、社民がローザとリープクネヒトの虐殺の上に成立した事、あるいは共産党が人民戦線で多くの左派を弾圧し、抑圧した「秩序派」である事を知っている。

 我々は、彼等とも手を組まねばならないし組むであろう。問題は、戦線を革命の未来へと向わせる革命的左派の潮流の形成である。

 我々は、ロマン主義や急進主義を秘めながらそれを止揚したリアリストで無ければならない。

 「共産主義者協議会」が革命的左翼の一翼として発展する事を願う。

 

                       禅譲の精神とジャブの応酬

                            淵上太郎(9条改憲阻止の会・会員)

 

 第一次ブント解体以来、執拗にその再建が構想され、血の出るような努力もされてきたと思います。しかし、この50年を全体として眺めてみますと、失敗の連続であり、この「失敗」という重さはそれだけで相当の説得力を持っています。失敗というのは、客観的事実だけを申し上げています。さまざまな試みにもかかわらず、党的組織を目指したものが生き生きと発展せず、事実上縮小したり消滅したりしているのではなりませんか?

 詳細は申し上げられませんが、恐らく一定の総括があり、たぶん5年前も、恐らく10年前も世界危機が論じられ、日本共産党等に対する批判があり、新たな闘いの決意が述べられ、「真のプロレタリアートの党」の公然たる建設について論じたはずです。

 共産主義や革命論の差はいまや個人的レベルにまで至っています。否、そういうことがようやく理解されはじめたといえるのかも知れません。それなら個人からしっかり始めればよいのです。何をか、共産主義の確立や深い理解を直接求めることではありません。

 今日金融恐慌が引き起こした深刻な事態に対して、重要なことは、民衆は闘わざるを得ない。闘いがなかったところ、あるいは見えなかったところで、まったく新しい闘いが起こり始めているということであります。もちろん人民大衆が一、二の三で一度に立ち上がるわけではありません。しかし問題があって、そこに一定の民衆がかかわりあっている以上、いかなる困難があろうと、「われわれ」が如何に逡巡しようとも、そんなことにはお構いなく、民衆は闘う。これだけは誰がなんと言おうと歴史的経験であり、豊かな現実そのものの様相です。共産主義や革命や党を論じる「われわれ」の方が遥かに立ち遅れているということです。

 相互に見解の相違があるのは具体的な事実でありますが、それを今決着つけないと一歩も前に進めない、という精神の有りようがナンセンスです。否、相互の見解の相違は、当面は、それ自体としては決着が付かないと考えるべきです。たまに行われる様子見のジャブの応酬程度に止めて、大衆運動の前進にのみ貢献すべきです。

 自らを立たせるための革命の意志や精神は大事であるとあえて申し上げてはおきますが、それ自体が今日、直接事態の推移を決定づけるのではなく、やはり共同の精神が運動の前進を齎すのだ、ということです。

 共同・連帯の精神こそが、当面するわれわれにもっとも強く要求されていることと思います。相互に多様性を認め、禅譲の精神で臨みたいものです。

 

            左翼は時代と共にある。そんな実践感覚を忘れてはならない。

                                大下敦史(月刊情況編集長)

 

 新たに結成された「共産主義者協議会」の皆さん。皆さんの活躍に期待しております。この度のブント系の共産主義者協議会に関しては、60年安保ブント世代の八木沢さん、そして70年安保世代のわたしも応援団の一人に過ぎない。

 いつの時代も前衛集団や党(パルタイ)を志向し、創造するのは若い世代の特権である。それは当然としても、その前提となる若い共産主義者の広い実践的な交流が必要です。マルクスやエンゲルスのいわゆる共産党宣言は実は共産主義者の宣言でもある。そこには共産主義者のさまざまな思想的交流、活力ある実践的交流が存在していた。また多くの革命の経験を見るまでもなく、その実践集団は20代から40代です。冷戦期の崩壊以降、新旧左翼は長い試練を強いられてきたわけだが、老人世代になった今、最後の大きな仕事がある。共産主義者の協議会はブント系にかかわらず、新旧左翼の体験を経たすべての諸党派や諸個人に問われているのです。そしてその活動が若い共産主義者を育てることに繋がれば本望というものでしょう。

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 ご存じのように今われわれはこれまで経験したことのない、資本主義の世界史的な危機の時代のなかにいます。2008年はアメリカ発の世界大恐慌の開始として歴史に刻み込まれている。これは単なる景気循環ですぐに回復できる代物ではない。1970年以来のグローバル経済成長を実現してきたアメリカ的構図が、いわゆる金融グローバリズムの土台が根底から崩れ去る。これは、今後の数十年をかけても再興が可能かどうかもわからないものです。アメリカ帝国主義の衰退、崩壊期への突入で世界は面白くなりました。今や、冷戦構造が崩壊した以上の衝撃が全世界に起きるだろうし、すでに起きている。帝国主義本国でも、いよいよ労働者や被抑圧者が生活と権利の防衛のために、自分たちの階級的解放を求めて闘う時代が来たのではないか。ということは、いよいよ実践的唯物論者たる共産主義者がその最先頭で活躍する時代が到来したのではないか。

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 わたしは2000年から情況誌を預かり、もうすぐ10年になります。われわれ70年安保世代もいつの間にか還暦を越えてしまい、老いたるモグラの一人として日々何をするのか自問自答しながら生きております。わたしの現場は若い知識人の卵や研究者との思想的交流です。上は40代半ば、下は20代までの幅広さがあるのですが、時代を反映してなのか、主義者はあまりません。それはそれでいいのではないかと思います。そんなことよりも若い世代との交流の中で時代の変化を感じるというか、教えられることが多い。いつもそこで得たものを「編集後記」という形で長ったらしく表現しています。歳をとると、時代を深く見ることが出来るのですが、若いときのノスタルジーの部分が多く、時代を見る感覚が縮小し始めるのも事実。時代と共にどう生きるのか、日々点検されております。皆様の最後の活躍に期待しております。

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